2017年11月18日土曜日

28くらいから今までの自分とは違う自分に変わっていくのを心身ともに感じはじめて、今もなおその動きが続いている。
着たいものと似合うものが変わっていったり、できないこと(酒を飲みまくるなど)が増えると同時にできること(仕事沢山するなど)も増えていく。
自分が持つ自分へのイメージも変わっていく。
趣味も体に合うものも変わる。
あー、服が欲しいなあ、髪の毛をめちゃくちゃにしたいなあ。
ともみはともみだから、ともみらしいスタイルで働きたいなあ。
ミニスカートも履いていたいし、ヒールも履いてみたい。
綺麗になる方法が昔と違う感じする。
自分がいいな!と思う自分がわからない。
どうやったら近付けるんだろう。

美術教育とか

一周まわって本当に「美術」は教えてもらうものじゃないような気がしてきた。
仕組みを理解していくことと自分の感覚を観察することが人を成長させると思う。
そしてそれは何を通してでも学べることだと思う。
美術教育ですべきなのもその部分だと思う。
現行の美術教育が「下手」とか「上手い」で評価して多くの人に苦手意識を植え付けるものばかりなのだとしたら要らないと思う。

芸術は教えてもらうものではなく自分が出会ったものから見出していく感性だ。

美術と素直に関われる人たちが育ってほしい。
割り切ってかつ、愛して。
それが一番大事。

グッドモーニング

反射、反発、反動、反復
反り返る。壁にタッチしてターンする。
ボクサーは拳を前に突き出すけど、前だけじゃなく後ろの筋肉も発達しているらしい。それは、出した腕を止める筋肉が必要だから。
どっちか一方への力だけでは、コントロールできないということだ。
運動は前進、停止、後退を交互に繰り返す。


親愛なる友人の望月ゆうさく君と初めて共同制作をした。
彼の公演のワンシーンにアニメーションをつけるお仕事を依頼してくれた。

彼に学んだことがたくさんある。
それで私は少しずつ変わっていった。

ブラジリアン柔術の石川祐樹さんに出会ってから変わろうという意識が蓄えられはじめて、ゆうさくと作品を作ることでエンジンがかかった、ような感じ。
全ての部品が完成したのは今年の誕生日、マリールーのれいこさんに髪の毛を切ってもらった日のような気もする。
そんな感じで自分の変化はいつも誰とも言えない誰かの、何かの影響があり、振り返ればたくさんの人に助けられていて、誰かしらがわたしに合図を出してくれて、私はアクションをはじめる。人生は振る舞いによってコントロールできる。
心は単純な物理運動で、玉のようで、身体を使ってコントロールできるということをしみじみと実感しているところ。

この人のおかげで、という明確なものもあるし曖昧な変化もあるけど、それはぜんぶ自分が作り出したんだよ、と自分を讃えたい。

悲しいこと、申し訳ないこと、人を傷つけたこと、自分がした悪いことや悪い癖、そういうのをちゃんと見つめていこうね。これからも。


2017年11月16日木曜日

当たり前にしていく

これをまず目標にしてる。
当たり前になるくらいやる。
当たり前だなと思ってきたら、発想を変えていく。

当たり前になるくらいやろうって決めてた個展を5回やって、その先が見えてきた。
展覧会について、作品について、展示することについて、会場について。
場数を踏むってとても大事なことなんだなぁ。

2017年10月27日金曜日

運ぶ

呼吸が浅くて速い、血がドロドロって感じの時代かな。
社会の状態がそのままそれぞれの身体にも現れているんだろうな。
来年のテーマは「じっくり」にしようと思った。
色んなことが早すぎる。それは急進ではなくて、性急なだけだと感じる。
どれだけ時間をゆっくりにできるか。
時間を止められるか。

ゼロはデトックスする力を持ってる。
リセットではなく、デトックス。

疲れた。仕事楽しいから行きたくないとは思わないけど、ねむい。(^○^)

こじらせてる人とこだわってる人をいっしょくたに「めんどくさい」と括っちゃうともったいない。
人間はみんなものすごくめんどくさいんだから。
面倒なことって楽しい。

かわいい、やばい、ちゃらい、めんどくさい、頭おかしい、ギラギラって言葉は使い過ぎなので気をつけよう。

ねむい。
接客に優しさを忘れない。目を見て、心からのほほえみと、楽しい気持ちの声。
自然体と愛想のバランス。
なんかいきなり話しかけてびっくりさせちゃったり、急いで焦っちゃったりしないように気をつける。
周りの人の接客が参考になるから助かる。すごいなー。なんか気品があるんだよなあ。

霞ヶ関は人が沢山降りるから降りなきゃいけない気がして少し焦る。

もう一年以上青山に通ってるから表参道来るとすごく安心する。何も買ったことないけど。

人と作品つくるの楽しい。

ねむい。



2017年10月11日水曜日

くらいきぶんだったのにクラムボン聴いたらすごーくみずみずしい気持ちになったので、音楽ってすごいな。コントラストっていう曲。コントラストとか、グラデーションについて考えて、芽が出たよ。

友達に会ったときの感情の選択肢がなくなってしまっている感じ。
そんな気分で友達に会うのは失礼なのでむやみに会わない。
心閉じてるのはなぜなのかしらと。


2017年10月9日月曜日

早朝は命の足音がする

ときどき、朝早く目がさめる。
体力がありあまっているとそうなる。
図書館で借りた網野善彦監修の本を6割くらい読んだ。
日本の民俗史に思いを馳せる。

朝がすき。少しずつ空が白んでいく、鳥がさえずる、台所の窓からぴかぴかした光が差し込み、木の陰がうつる。そよ風とともにゆれて、光も一緒になってゆれる。
棚の調味料やガラスの器がほんわりと透ける。
寒かったのが少しずつあたたかくなり、体温を取り戻していく。
眠りが覚める。命が起き出す。挨拶がはじまる。ぐるぐると動きがはじまる。
生きることの裏には、生きることの根底には必ず死があるのだという感じがする。
死にも歩みがある。生と死を含めた命そのものの足音がする。

2017年10月7日土曜日

「2時間だけのバカンス」のMVがすき。
自分の家庭を持つことがあったら、ひたすら物理運動を繰り返す無意味な装置みたいなのを沢山かざりたい。あと張り子の民芸品とか。

手にゾウを描いて本当に楽しい気持ちで大笑いしたり(ひとりで)
それ以外にもいろいろ、子供より子供らしい気持ちが一人歩きしているよ。
そういうのが自分の一番リラックスできる心の拠り所なのかもね。うふふ。

無理はしていない。過去の自分を脱ぎ捨てていきたいのだ!

TOKYO ART BOOK FAIRさむくて雨ひどくて紙を買ったもののビニールかぶせてもらえなくて(用意してなかったらしい)
大きくて分厚いタウンページみたいな紙を、抱きしめて、折り畳み傘さして・・・
濡れた上着の下にも濡れたカーディガン着て、雨強くて、寒くて・・・

よく行ったな!ほんとに!えらいな!!!と思います。
外出するということは出費があるということだから、貧乏な私は「行くか/行かないか」は損得勘定で決まる。計算して一番安いプランを練る。
石川さんに言ったら「まじっすか」て言われそうなドケチなプラン。。。
もう少しお金に余裕が出てくれば、なあ。
外出するとお金がなくなるっていう悲しさが常につきまとうから、ただでさえ受け身な自分がより受け身になっていく。
でも頑張って、頑張って、頑張って、寒くて雨ひどくてお金ないけどめっちゃ計算してどう考えても行かないほうが楽だし安全だけど行った。土日絶対行かないと思ったから。
混んでた。すごいよ。えらい人たちが沢山いたよ。えらいよ!!!!
大好きだよ!!!て思いました。

おしゃれな人がウヨウヨして最初は「うっ一番苦手な空間・・」と思ったけどその苦手意識も振り払って、まずその空間に慣れようと、素直に楽しもうとウロウロして、慣れてきて、製本された無地の紙に興奮して。素敵な植物画とか見つけて。ほっとして。
そうしてるうちに、みんな絵を描いて、発表して、面白いこと考えて、オシャレで、すごく素敵だなと思いました。ともみはこういう感じにはなれないけど、ともみはともみのエネルギィの出し方と尽くし方でめっちゃ面白いことができるって信じたよ。彼らのおかげだよ。

やっぱ「パン」といいもの発している人っているよね。すごいよ。埋もれないでさ。そういう人が売れるんだね。独特のリズム、独特のうねりっていうのを、気持ち良さっていうのを、出せるかどうか。

面白いと思って話しかけたくなったのもあった。素敵ですねという気持ちを込めた眼差しを送っておいた。なんか、マイナスな気持ちにならずに帰ってこれた。よかったあ。
ともみはともみって思えるようになったからかなあ。

人は何もしなかったらどんどん猫背になるし、筋肉おちるし、かたくなる。だからいつもいつも研鑽しないといけないの。ナマクラにならないために!
私は奥手で不器用でノロノロで地味で超受け身だから、ちょっとくらいギラギラさせていないと卑屈になっていくと思う。ほんのすこし自惚れた状態というか。
努力し続けることで自信を保つタイプかもしれない。
あとどうしても言葉足らずだったり、語気が強いっていうか、悪態ついてるみたいな声だから、笑うのが大事。オホホ!
オホホじゃないか。

最近痩せてミニスカート履けるようになったのが嬉しい。ミニスカート好きなんだよな。
まあ綺麗な足じゃないけどさ。隠さないでいいのが嬉しい。
ともみはミニスカートが似合うんだ。

ところで昨日の個人指導で腕に絵を描いたりしてたんだけど、自分はゾウを描いて、ゾウを動かしてたら超楽しくて、先生一人で笑ってたよ。
コウヤくんアフロだったのに髪切ってさっぱり。なんでも似合うんだなあ。
世羅さんはかっこいいなあ。
肉体が美しいのでまるまった背中も観察しているのが楽しい。
 
モンちゃんがかわいくて初恋の人を思い出した。髪の毛、ちょっとウェーブ。かわいい!

あーなんでもかわいいって言っちゃうの気をつけないと!!先生だもの。
赤ちゃんはいいけどね。かわいいのかたまりだからね。

シノゴノ

一つに心がさだまろうとするときイメージが胸から喉に流れてこめかみから宙に飛んでいく。
よしやるぞ、と思った瞬間にそうやってイメージが浮かぶ。

「なんも楽しめない」というメインの気持ちと、「そんなことはどうでもいい」という裏の気持ちがある。
なんでもいい。どんな状態でもいい。
「わかったつもり」にならない。

チャンスを掴めるように研ぎ澄まして、地道に積み上げる。
すごく楽しいね!それ。

2017年10月3日火曜日

よく知ってるものは上手に描ける
上手に描けるときは目と手と脳が一致してる

2017年10月2日月曜日

本気でやればなんでも楽しい

ちょっと前に、テレビで又吉がカフェで数学の話している番組があった。
カフェの店員さんが数学者の鈴木咲衣さんという人だった。
茂原なおこちゃんに似た感じの雰囲気で、なんかものすごい知性と色気があって、高貴な印象だった。
数学の話がわかりやすかった。
トポロジーを理解した。
トポロジーとかエコロジーとか『なんとかロジー』系がすごいときめく
あれ、トポロジーって位相幾何学じゃん。
位相幾何学じゃん!!
荒川修作じゃん!
前にも勉強してたのか・・忘れてた。
幾何学ってのも超うっとりする響き。
抽象っていう謎の定義といつもやりとりしているから。
幾何学って美しい。神秘なのよ。
どんなことも説明ができるのかもしれない。だけどその道はとても複雑で、様々な事象と重なり絡みあっていて、説明しようとしたら一生かかるかもしれないくらい長くなる感じ。

どこで聞いたんだったか、直線について
直線を書いてくださいって言われて直線書いて
でもこれは直線ではありませんって言われる
これは途中で切れているから線分である。
そうか、直線は、端がないんだ。


生産性のない無駄な時間は本当に無駄かもしれない。
遊ぶっていうのを本気でやらない限り、それは浪費でしかないのかもしれない。
考えていればいいようで、考えない方が圧倒的に良い場合もあるのかもしれない。
一人でどこかに行けないなんて情けないから、一人でいつもどこにでも行きたい。

漫画をしばらくコツコツ書いてみたい。

最近のテーマは「本気で楽しむ」

恐れからのダイエットじゃなくて
超楽しいから踊るみたいな感じです!

老いがこわいからマッサージするんじゃなくて
もっともっと綺麗な自分が見たいからするのです!

売れないと食っていけないから買ってくれえっていうんじゃなくて
すっごいいいと思うものがあるからそれを伝えていくのです!


2017年10月1日日曜日

2017.9.29

壊れかけの日本と何事もなく楽しげな都市を見て、現実ではなく神話の世界をモラトリアム的に生きている感覚がした。

2017年9月30日土曜日

重要なのは、気持ちよければ「いい作品」というわけではないこと。
いや、まだその境地に至ってないだけかもされないけど、気持ち悪いなしでは気持ちいいにはたどり着けないと思うんだ。

実験の繰り返しだな

自由とは、上手にダンスを踊ること

自分の書いた文章のリズムが良いときは文章と脳の動きがシンクロして気持ちよく踊っている感じがする。意味も効率も「夢中」には勝てない。
迂回したり、ターンしたり、素早く階段を駆け下りたり。

アニメも動きだし、文章も動きだし、心が自由な時って、心がいい動きをしてる時なんだな。


縦の感覚を呼び起こす訓練

スマホを見ない
人と話す
手を動かす

ラピュタ何年ぶりかに観た。
宮崎駿の深度Level
深い。深い。
小さい時から観てるからアニメの原体験すべてジブリのアニメだから、刻まれた深さも圧倒的。信仰に近い。
大人になって観るラピュタはパズーとシータの愛がドラマチック過ぎて恥ずかしかった。
パズーの紳士っぷりにかなり動揺した。
宮崎駿が描く男はみんな紳士で、女は神のようだね。


村上春樹の小説にも縦の動きがある。
空を見上げることも多いし、井戸に降りて意識の超深層に挑んだりする。
アニメは「動き」そのものだから、四方八方にヌルヌル動くとシンプルに気持ちいい。

私も空を飛んだり、洞穴に降りたりしよう。
どちらにいっても、暗闇なのが神秘だね。

横の感覚、立ち回る感覚の生活

都心で、隙間なく仕事をしていると「没入」する感覚を忘れてしまう。いつも何かを考えて、いつも何かのために行動している。
いつも見える景色が急に彩りを変えるような、一線を跨ぐ感覚は恋の魔法のように短くて遠い。

仕事を中心に、都心を生活する日々の感覚は宛ら「渡り歩く」感覚だ。
縦ではなく横で、通勤路はいつも効率重視で直線的。信号の点灯時間や目的地までの距離を考慮し、曜日や時間帯による人混みの具合を予測して歩く。
車は感情を持たない猛獣で危険な存在。彼らの前では常に緊張を保ち、かつ背筋を伸ばし堂々とした態度が求められる。認識されなければ死ぬし、認識できなければ死ぬ。
車は人を殺すし、そこに悪意も善意もない。無感情に命を左右する恐ろしい魔物。

そういう意味では都会はジャングル。
電車が不可抗力で遅れたり、止まったりする。仕事の前だと遅れる危険性があり、仕事の後だと帰宅が遅くなるから寝るのが遅くなる。精神的ダメージが大きい。体力も余計に削られる。

イヤホンしてスマホいじりながら歩くのは本当は良くない。

山だったら、森だったら、イヤホンしながらスマホいじってたらすぐ迷子になるだろうな。
熊に食べられるかも。崖から落ちるかも。

熊や蛇はいないけど、鉄の塊やルール無用の自転車が駆け抜ける。

自分の身は自分で守る。

浅いな!浅いなー!
橋本匠君が2007年12月に発表した「宣言2007」という映像作品の名言が思い出される。

" 潜れ  深く潜れ  浮かび上がったのちに気付くだろう   世界に見覚えがないだろう "

作品がヤバすぎて、みんなが記憶したこの言葉。
匠君の作品はいつも確実にワンフレーズ、人の心に刻みつけるから凄い。



2017年9月26日火曜日

絵が乾いたらいったんよけて、新しい絵を描こう。
アニメーションをつくろう。

祈ることだけ ただ強く願うことだけ

絵を描いているときって何を考えているんでしょう。
自分の声だけでなく、いろんな声に耳をかたむける。
思い込みもある。私の観念が「これじゃコワイって言われるんじゃないか」「評価されないんじゃないか」って言ったりする。
いつのまにか、なんでこの絵を描いていたのか、何が描きたいのか、なんで絵を描くのか、よくわからなくなる。
つまづく。

私がこの絵の中でしたいことはなんだった?

それすら変化していく。私の信念なんてどんどん覆される。
底流している意思に添うこと。それが目指される。

私、という存在の言葉に耳をかたむけるのは、私という存在を通してしか万物を観察する手段がないからだ。それだけだ。
私が悲しんだり、私が喜んだりする。それを観察して、人間のことや魂のことを研究する。
自分と他人の区別がそこにはない。
「どこに乗っているか」の違いだけしかない。

エモーショナルな気持ちを、絵の前でも隠してしまうのか。
こわいのか。
自分がどこにいるかわからないのか。
感情を乱すのがこわいのか。

そういう時は声を出したり、人に相談したりするのがいい。
つい閉じこもってしまうけど、さらけ出してしまうほうがいい。

私ですらわからない私の問題。
読み解きながら、制作が進んだり、止まったり。

見えない力に、大切にしてもらっていることを忘れない。

応援と鼓舞

ふしぎだな〜が口癖
黄昏時のような、昼と夜の間のような、ちょうど不思議な時間ていうのが心にもあるようだ。
あっちでもこっちでもない、言葉にできない。できるような、できないような。
もう少し食べられそうだけど、食べたら満腹になっちゃう。

行きすぎると疲れるんだけど、あんまり離れても張り合いがないのね。

自分のことも他人のことも、応援して、応援することで自分を鼓舞して。
なかなか前にすすめない。一番大事なのは考えないこと。ただやってみること。

蓮の花、とうとう枯れてしまった。
また来年会おう。今まで知りもしなかった細い路地の蓮池。
出会えてよかった〜〜。


作品つくったり、ギター弾いたり、漫画描いたり、本読んだり。
いつも戦ってたい、磨いていたい、ぴりりと引き締めていたい。
毎日リンパマッサージ。続いてる。
休みの日は焦る。休みなんていらない。
絵を描くことが仕事になるように、頑張ろう。

売れる絵を描くことを頑張るんじゃない。リラックスして集中できる時間を捻出し続けることを頑張るんだ。